Ghetto

自殺願望や生と死について語ることを目的としたところ

第一印象とイメージ

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今回は自殺名所を通し、第一印象とイメージの話をします。

ついでに、紹介したい映画作品があるのですが、詳しくは後述します。

さて、いうまでもなく自殺問題を扱ったネットコンテンツは総じてネガティブです。

だからといって、事件の発生率が極端に高いのかというとそこまで深刻ではありません。

それどころか、援助交際(一応人類最古の商売だから)が跋扈している出会い系サイトの方が事件が起きやすいというのが現実です。

そうした出会い系サイトは、痴情のもつれによる暴力行為や美人局などもすくなからずあり、犯罪の温床になっています。

さしあたり、サイトのルールにも抵触しているのは明白です。

なお、全体からすれば一部でもイメージの悪いことが散見するとその場所のヴァリューが下がります。

ただし、その逆のこともあります。

どういうことか?

説明が遅れましたが、たとえばトップの画像はアメリカでいちばん有名な自殺名所のゴールデン・ゲートブリッジです。

自殺名所という言葉の第一印象は悪いですが、これは神秘性を深めて集客効果をもたらしている可能性があります。

ついでにいうと、日本の青木ヶ原樹海もゴールデンゲート・ブリッジと同じように自殺名所であることが神秘性を深めて集客効果をもたらしている節があります。 f:id:ydet:20171029161824j:plain

この記事を書いている最中も、とくにゴールデン・ゲートブリッジの画像に見とれていましたが、荘厳できれいですよね。

お正月映画は、久しぶりにゴールデンゲート・ブリッジでの自殺者を扱った映画『ブリッジ』でも観ようかな。

ちなみに、本作は2004年から1年間ゴールデンゲート・ブリッジにカメラを設置してメイクされたドキュメント映画です。

ブリッジでは、橋から水面にダイブして自ら命を絶つ人々を撮影し、後に関係者へ行ったインタビューも収録されています。

自殺の良し悪しについてまで言及はしていませんが、必要以上に自殺という行為を美化するようなこともしていません。希少な上に完成度が高いという評価が多いのはこのためでしょう。

生きている実感を得るためといったポジテイブな目的のために観るのもいいのではないでしょうか。

参考映画

ブリッジ [DVD]

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法治国家

日本では、個人よりも全体のメリットを重視する傾向があります。

そのため、それに沿って世論が形成される傾向があり、これは法的な解釈に影響する場合もあります。

そこで、今回は法律とその解釈の話をします。



法治国家

近年、公共の福祉や幸福追求権などの日本国憲法の定義する法律の概念は、全体のメリットを損なわない限りといった前提を強調しすぎた論調が巷間に流布されています。

ところが、そうした法的解釈によると日本国憲法が保障している社会保障が新たに給付されにくくなったり、価値観の選択を制限しそうになったりするようなことが起きる瑕疵があります。

ただし、忘れてはいけないのは、そもそも日本国は法治主義法治国家だということです。

だからこそ、日本でも言論の自由表現の自由は保障されていますが、先ほどの法的解釈について、誤謬ではなくても偏向していると考えられやすいところを中心に私見を添えてみます。

こうした話題になると、センシティブだと感じられる人もいるかもしれません。

しかし、『こういう解釈はいかがですか』という具合に話をする程度です。

さしあたり、『私はこう思います』という意見の一つのすぎず、説明していることに関して『良い・悪い』や『許す・許さない』ということにまで言及してヒートアップさせるつもりはありません。

というわけで、価値観が合わないところはスルーしてください。


公共の福祉とは

まず、公共の福祉について説明します。

社会国家的な公共の福祉の解釈には、経済的な権利を統制するニュアンスがあります。

他方で、近代専制国家から近代市民国家に移ったことで、公共の福祉は体制から市民の自由を擁護するニュアンスが高くなったという側面があります。

それと、公共の福祉の定義する『公共』のなかには個人も含まれていると考えることによって、個人が自分の福祉を追求する権利も含まれていると解釈することもできるという話もあります。

事実、先進諸国の人の感覚では高齢者以外の社会保障の利用者にはだいたい『ああ、自分の幸福を追求して生きている人たちね』といった見方が多いのが実情です。

近年の日本の世論は、これにやや加わるようになりました。


幸福追求権とは

次に、幸福追求権について説明します。

幸福追求権は、自由権が本質になっていて個人の尊厳の原理にもとづいています。

だからこそ、幸福追求権には個人の基本権として明文化されていない諸権利が含まれています。

たとえば、プライバシー権や人格権や環境権や幸福追求権や自己決定権も含まれていることになります。

そうはいっても、やみくもに逆ギレする生活保護の受給者、また残虐なテロによって人権を蹂躙された人たちのニュースを見ると筆者は困惑することがあります。


所感

さて、先に説明してきた法律の概念に関係することは、運用する側の主観に左右される傾向もあります。

ついでにいうと、偏向した情報に依拠してシステムを運用したりすれば、問題が生じる可能性もあります。

けれども、すこし前から筆者はこう思うようになりました。

日本の法律の条文は、細部がやや曖昧になっていると解釈できるところもありますが、しかしそれはあえてそうしていることで運用する側にも適応対象者にも、理性的になることを求めているところもあるのではないかと。

だとすれば、これには日本が高信頼社会でしなやかな和の国だということも関係しているのではないでしょうか? f:id:ydet:20191230104632j:plain

情報のカスケード

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今回は、サイトのリニューアル作業に関係した話です。

その時期は、バタバタしていてインスタント食品や缶詰ばかり食べていましたが、朝食のおかずのツナ缶を食べようと缶を開けたときのことです。

プルトップを強めに上に引いたのか、あるいは蓋の後部を押さえるように圧力が生じたのか、軽く爆発して上半身に3分の1ほどかかるということがありました。

しかも、このときはシャワーを浴びてから数十分後のこと。

だから、まだすこし濡れていた頭部にもツナ缶のオイルがつき、再度洗髪することを検討する羽目になりました。

結局のところ、タオルでさっと拭く程度にしましたが、後片付けには少々手間が掛かりました。

これには、長い時間自殺に関するネットコンテンツの管理作業をしていたことで生じた不注意も関係している可能性があります。

ちなみに、ネガティブな情報のカスケードに入ると、いつのまにかネガティブなことを連想してしまう場合もあります。

そうなると、日々の暮らしが一時的に不安定になったり、予期しにくかったりすることが起きやすくなります。

たとえば、こちらで紹介したようなことなどです。

もっとも、あらかじめ気をつけておけばだいたい困るようなことにはならないのですが。